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レポート<地域にFOCUS in 佐賀>~有田焼 創業400周年~2016/12/20

今年2016年、有田焼は創業400周年。深い歴史を受け継ぎながら、次の100年に向けての様々な取り組みが広がる。

ひとつの山を焼き物に変えたと言われる日本磁器発祥の地「泉山磁石場」

 

森林や山岳に囲まれる有田町

 

耐火レンガや陶片で作られたトンバイ塀

今回のRin crossing Eyeレポート「地域にFOCUS」では、今年2016年に有田焼創業400周年を迎えた佐賀県有田町から400年の歴史と次の100年に向けた様々な取り組みをレポートしたい。


400年の歴史と次の100年に向けての取り組み

17世紀初頭に陶工の李参平が有田東部の泉山で白磁鉱を発見したことにより、日本で初めての磁器が生まれた。それが有田焼の始まり。有田という土地で、日本で最初の磁器が生まれ、400年の歴史を重ねてきたことに驚きを感じる。有田町は佐賀県の西部に位置し、北には伊万里市、南には長崎県の波佐見町がある。江戸時代に伊万里港より出荷された磁器は、古伊万里として今日でも高く評価されている。

 

佐賀県立 九州陶磁器文化館

 

華やかな蒲原コレクションの古伊万里

有田焼は、400年を超える歴史の中で、何度も大きな岐路に立たされてきたがその度に有田の陶工たちは、時代に即した有田焼を生み出し続け、長い歴史を創り上げてきた。
その歴史の深さを、400年記念イヤーイベントとして、佐賀県立 九州陶磁器文化館で開催された特別企画展「日本磁器誕生」(会期:2016年10月7日~11月27日)で感じた。

有田焼は、17世紀半ばには華やかな色絵磁器が出現するなど飛躍的な革新を遂げ、17世紀後半には、本格的にアジアやヨーロッパへも輸出される様になり、日本を代表する磁器産業へと発展してゆく。有田焼は、貴族のニーズに答え膨大な数の有田焼が高級品ブランドとしてヨーロッパに輸出された。

創業350年、1966年(昭和41年)の頃には、高度成長期の波に乗り、団体旅行で訪れる温泉宿などで使われる割烹食器のブランドとして多くの需要に答えてきた。
その有田焼も平成の時代に入り、現代の暮らしの中では以前ほど使われなくなったこともあり、全盛期から5分の1程度の売り上げ規模に落ち込み、陶磁器を使った豊かな暮らし自体が先細ってしまう危機に直面している。


使える器の美術館「USEAM ARITA」

 

季節の花を有田焼で「生ける」

 

有田焼の酒器で「呑む」

九州陶磁器文化館に隣接のアプローチデッキでは、陶磁器を使った新たなライフスタイルを提案する美術館(MUSEUM)を「USEAM ARITA」と称して展開しており、有田焼を生活に取り入れる様々な使い方(USE)のアイデアも体感することができた。有田焼を作るだけではなく、使うことで得られる豊かな暮らしを提案し続ける事で、有田焼の未来へ向かうための道を生み出そうとしている。


次の100年に向けて人づくりが大切

有田焼卸売団地協同組合
専務理事
田代 章次郎氏

今回は、有田焼卸売団地協同組合 専務理事の田代章次郎氏に、有田焼創業400年事業の取り組みと次の100年に向けた有田焼の未来像について伺った。

有田焼創業400年事業の取り組みで、一番大きかったのは、人との交流、お互いの文化理解を深める海外との交流を数多く生み出したことだと言う。
先人たちは、400年の歴史の中で、ものを作るだけではなく、後継者も育成してきた。
伝統を相続することは難しい。人の好みは時代と共に変化し、その変化に適応し続けたことで、有田焼は生き残ってきた。先人たちは、評価される付加価値とは何かを追及し続け顧客のニーズに向き合うことで、より良い有田焼を生み出し続けてきた。単なるコピーでは、オリジナル以上のものを作ることはできないため、伝統を受け継いでゆく、継承というものが大事になる。だからこそ、次の100年に向けて、人づくりが大切だと考えている。

例えば、400年事業を機に、人を介して目に見える形で行っている活動が「2016/(ニーゼロイチロク)」などの活動だと言える。有田焼の特徴は、多様性であり、世界の様々な文化を取り入れて、進化し続けてきた歴史がある。海外からのリクエストに答えるために、新たな取り組みに挑み、変化を恐れず、知恵と工夫を加えながら技を磨き続けることで、様々な有田焼を生み出し続けてきた。

近年も海外マーケットへの進出を目指した取り組みは幾つかあったが人的交流の不足や海外文化の理解不足もあり、日本で作られたままの有田焼を持ち込んでいた。今回の取り組みでは、海外からデザイナーを招聘することで有田の文化を理解してもらいながら、自国の文化にあったデザインを生み出すことが出来たことが大きな違いだという。
16の窯元・商社と8か国16組のデザイナーとのコラボにより、海外のニーズに合った製品を作ったことで、今回の取り組みが新しい商品づくりと販路拡大へとつながったと感じている。

海外のデザイナーの方も有田町に住み、寝食を共にすることで土地の空気を感じお互いに意見交換をしながら、製品を創り上げることができた。一人二人の集まりではなく、様々な人の意見が交換され、新たな付加価値のある有田焼を生み出した。

今までの歴史の中で、ここまで窯元のまとまったグループ同士の商品開発が行われたことは無く、この取り組みを通じて、有田に多様な文化を持った人が集まり、その新しい発想や要求に伝統で築き上げた技術で答えてゆくことが新しい時代を生み出す事につながっていると力強く語ってくれた。


「2016/ 」ブランドデビュー展(西武渋谷店)

2016/(ニーゼロイチロク)


2016年、400年という節目の年に、生まれた新たな陶磁器ブランドが「2016/」。
多様な文化背景を持つデザイナー達が、有田焼を再解釈して生み出したアイデアを、有田の400年で磨き上げてきた高度な技術で実現してゆく、その集結から世界のニーズに答えた新たなブランドを生み出した。
有田焼創業400年事業として、約3年前から開発を続け、2016年4月にミラノサローネでお披露目され、2016年10月には、そごう・西武百貨店で、ブランドデビュー展が開催された。(2016年10月19日~11月2日の期間、西武池袋本店、西武渋谷店、そごう横浜店にて開催)



ストーリー性やモノの価値を伝えることで活性化する。

 

窯元、ギャラリー、直売店が並ぶ皿山通り

 

有田町は佐賀県の西部に位置する。

デフレ時代の中、海外の商品や廉価な商品が出回り、従来の高価な有田焼は、シニア層などには一定の支持を得ていても市場全体としては売れなくなってきている。
一方で、隣町の波佐見焼は、大衆向けの陶磁器を多量に生産してきた歴史があり、近年は様々な商社や窯元によって、現代のニーズに合ったデザインの製品も作られており、日常使いの和食器として注目されている。
同じ様な製品が大量生産され、それが手作業で行われているのか、大量生産されたものなのかを判断できるものではなく、同じようなものが安ければ、その製品が売れる。その中でも「2016/」などのブランドは、高い技術力やデザイン性から若い人や海外の方にも注目されている。

有田焼全体をすぐに活性化することは難しい中で、有田焼創業400年事業の取り組みでは、今回のような、新たなチャレンジによって一部からでも元気になることで、それに続くように有田全体が活性化するようになることを目指した活動を続けている。

多くの地場産業が衰退してゆくのは、ストーリー性やモノの価値が伝わっていない事が原因であり、歴史的な資産の活用や人を介してストーリー性やモノの価値を正しく伝えて行く活動の大切さを感じる。

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