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創り手たちのStory

Home > 創り手たちのStory #034 株式会社 襟立製帽所

#034 株式会社 襟立製帽所2015/03/25

産地の素材と伝統技術を活かしたオリジナリティ溢れる〈帽子〉

麦わら帽子からスタートした倉敷の帽子メーカー

江戸時代、天領として栄えた倉敷。高瀬舟が行き交う倉敷川畔にいまも白壁ナマコ壁の蔵屋敷が立ち並ぶレトロモダンな倉敷美観地区に、注目の帽子店があります。1960年創業の帽子メーカー・襟立製帽所の直営店です。

鶴形山南側の街道沿いの町家を改装した一号店には、独創性あふれる帽子とともに古いミシンや帽子の木型が並び、観光客や地元の帽子愛好家がゆっくりとくつろぎながら帽子を選んでいます。

「愛着をもってかぶってもらえる帽子をつくりたい。ひとつ一つ手にとって、手仕事によって生まれたデザインと素材の良さを確かめていただけたら」と、襟立製帽所の2代目代表取締役社長の襟立重樹さん。

「長年培った技術に企画力を加え、日本人の細やかな感性を大切にした帽子をつくりたい。つねにお客様の声を良く聞き、ニーズを反映した商品づくりをしたいですね」と襟立社長

襟立製帽所の物語は、創業者である襟立社長の父・茂氏が地元の伝統産業を活かして良質な「麦わら帽子」をつくろうと考えたことから始まりました。岡山県の西南部に位置する浅口市では古くから良質の麦が育ち、その副産物である麦わらを平たく紐状に編んだ「麦稈真田(ばっかんさなだ)」が農家の副業として内職されていたのです。茂氏はその麦稈真田を帽子や袋物の材料として海外メーカーに卸す会社に勤めていましたが、そもそも岡山はモノづくりがさかんな地域。次第に自分たちの手で麦わら帽子をつくれないかという思いが強まり、専用のミシンを輸入して事業を興したのです。

当時は日本が高度成長の時代に向かっていたこともあり、品質の良い同社の麦わら帽子はよく売れました。つくればつくるだけ売れた時期もあったそうです。しかし、次第に麦稈真田の生産は安い輸入品に押されて下火になりました。同社も一時期は生産拠点をほぼ海外に移し、大手スーパーの下請けでしのいでいましたが、価格競争に巻き込まれて先細りになっていきました。

感性の合うブランドのOEMで力を磨く

テープ状に編み上げた布地や天然草を渦巻縫状に縫い上げてつくるブレード帽子。襟立製帽所のルーツとも言える帽子です

転機は2004年、現在の襟立社長である重樹さんが家業を継ぐ決心をしたことでした。もともとファッションが好きで、大学卒業後は迷わず地元のアパレルメーカーに就職、「家業を継ぐことはまったく考えていなかった」という重樹さんが帽子に打ち込みはじめたきっかけはなんだったのでしょうか。

「私が学生の頃には帽子は衰退産業でした。髪の毛がつぶれる、通気性が悪いと敬遠され、あまり良いイメージがなかったのです。しかし、15年ほど前からCA4LA(カシラ)などの帽子専門店が人気を集めたことから流れが変わりつつあり、どの繊維業界も衰退していくなかで、帽子はもしかしたら面白いかなと感じていたのですね。そんな折に父から廃業の相談をされ、思い切って会社を辞めて家業に入りました」

当時、襟立社長は40歳。アパレルの仕事も充実していましたが、「自社ブランドをつくる」という夢に賭けたのです。国内生産で、上質で、自分たちにしかつくれないものをつくろうという思いがありました。

創業時から麦わら帽子の製造で使用しているミシンで、さまざまな形のブレード帽子を縫い上げています。指先の感覚でデザイン通りの立体をつくりあげていく様子はまさに職人技!

「同社の武器は、やはり麦わら帽子づくりで培った技術力。麦わら帽子のように紐状の素材を渦巻きのように縫い上げるブレード帽子をきれいな丸みのある形に仕上げるには熟達した職人技が必要で、こうした技術を有する帽子メーカーは国内にほとんどありません。しかし、「技術だけに頼らない」と重樹さんは語ります。

「技術はあって当たり前。逆に力を入れたのは、いかに素材を活かした面白いものがつくれるかというソフトの部分です。麦わらやブレードに固執せず、むしろ布帛の帽子に力を入れ、社内にデザイナーを据えて、国内ブランドのOEMからスタートしました」

社長自ら営業をかけたのは、有名ブランドメーカーや老舗帽子ブランドなど国内トップと見込んだ帽子ブランドばかり。伝統に裏付けられた技術力とアパレルで培ったファッション性の融合は、そこで大いに評価されました。

「自己満足でモノづくりをするのではなく、客観的で先進的な視点から自分たちの実力を知りたいという思いもありました。こうした感性を磨くOEMを経験したことで基準がわかり、非常に学びが大きかったですね。同時に地元倉敷や百貨店でのイベントに参加し、お客様の声からニーズを探り、品質にこだわった自社ブランドの育成に力を入れました」

「素材の面白さ」と「かぶりやすさ」にこだわり

古い町並みの残る倉敷美観地区に建つ、襟立製帽所倉敷本町店。古民家を作業場のイメージに改装したコンセプトショップです

2010年に直営店をオープンして以来、ファッション感度の高いお客様に人気の襟立製帽所ですが、つねに根底にあるのは「かぶりやすさ」です。

「おしゃれ度3割、機能性7割が私たちの原理原則です。なぜなら体とちがって頭には肉がついておらず、骨と皮膚が近い。つまり装着感でごまかしがきかないのです。ミリ単位の違いがダイレクトにかぶり心地に反映される帽子はアパレルの究極ではないかと思います。こうした思いからオーダーメイドやセミオーダーはもちろん、既製品の細かなサイズ変更にも応じています」

素材にも非常にこだわりがあり、すべて社長が自ら産地に足を運んで仕入れています。これまで帽子の材料ではなかったものを帽子にしてみるという発想が、帽子の可能性を広げています。

 

作業はすべて手仕事で丁寧に。わずかな大きさの違いがかぶり心地に影響するため、きちんと型にあわせてサイズを揃えます。表からは見えない裏地やタグにもおしゃれな一工夫をして、愛着を感じてもらえる帽子づくりを目指しています

 

地元織物企業で丁寧に織られた真田紐を手作業で仕上げたブレード帽子。日本特有の素材感・色使いの真田紐は和服との相性も良く丈夫です

 

上質の革とインディゴの手染めに伝統の技術を加えた究極の帽子。岡山からほど近い兵庫県姫路市から取り寄せた革を、倉敷でインディゴ染色し、帽子の縫製に適切な薄さと幅にカットしてつくります

「より軽く、より使いやすく、より畳みやすいように。ブレード帽子も麦わらだけでなくペーパーや革など、つねに新しい素材を開発し機能性を上げながら魅力を高める努力をしています。最近では真田紐やなめし革を用いたブレード帽子を提案しています」

長年、ともに歩んできたブレード帽子の職人さんは、もう80歳を超える方ばかり。伝統を未来に伝えるために、社内での職人育成にも注力しています。

「現在、社内に8名帽子職人がいますが、ブレード帽子を縫えるのは2人だけ。100人試してみて1人できる人がいればいいかなというくらいむずかしい技術で、前職でデニム縫製などの経験があってもできない人が多いのです。しかし、逆にミシンの経験がなくても手先が器用ならできてしまう人がいるのが面白いところで、美容師さんがつくれたという話を聞きますし、私の家内もたまたまやってみたらできたんですよ。いまではたいへん腕がよくて感謝しています。そういう感覚の鋭い手の持ち主を探して根気強く育てていくのも地域貢献であり、弊社の役割かなと思います」

帽子の魅力を伝え、新たな市場を開拓

2号店は、倉敷川沿いに面した屋根裏の帽子店。襟立製帽所のオリジナル帽子とセレクトした国内ブランドや作家の帽子を販売する、新しいスタイルのトライアルハットショップです

昨年6月には同じく倉敷美観地区の倉敷川沿いに2店舗目となるセレクトショップをオープン。セミオーダーの会やお客さんが帽子づくりに挑戦する帽子教室を開催するなど、さまざまなアプローチで帽子の魅力を伝えています。

「きちんとモノをつくっていることが見える会社にしたい。量産品に比べて高価かもしれませんが、これだけ素材を選び、細部にまでこだわってデザインし、熟練の職人が手をかけているからこの値段なのだと納得していただけるモノづくりがしたいのです。そういうものはやはり一種の存在感があるはずだし、だからこそ愛着をもって大切にしていただけるのではないかと思います」

こうした信念のあるモノづくりが幅広い年代のお客様を惹きつけ、リピーターを増やしています。2年前からは「ギフトショー」などの大規模な合同展にも出展。海外展開も視野に入れはじめました。

「モノは自信をもってつくっています。あとはどこに売っていくかです。国内では、創業時に目指していたショップのバイヤーさんたちから声をかけていただけるようになりました。海外からも年々問い合わせが増えていますが、充分なコミュニケーションや納品関係の手続きが困難なのが実情。Rin crossingで海外展開のサポートを受けながら、“倉敷発”の帽子の新たな市場を開拓していきたいと思います」

株式会社 襟立製帽所
(カブシキガイシャ エリタテセイボウショ)

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